コラム

 公開日: 2016-05-06 

文系と理系

国を名乗る役所が、文系不要論のごとき論を述べたことによって、逆に文系が注目されるようになった面もあります。この問題に関して、多様な観点から危機意識を提起した書籍として室井尚氏の『文系学部解体』があります。



今や誰でも言うことですが、文系、理系にあまり分けすぎるのは適切ではないのかもしれません。常に大学受験に呪縛されて生きているような感があります。多くの人にとって、大学受験というのは、大きなライフイベントだと思いますが、大学に入ったら、一度リセットすることの方が重要です。オウム真理教事件の1995年、当時メディアを駆け巡った文言が、

「理系の優秀な人がなぜオウムに欺されたのか?」

という問いです。あの当時もさんざんこの文言は聞かされましたので記憶されている方も多いのではないかと思います。しかし、日本のメディアは文字通り進歩しないのだとあらためて思い知らされました。20年以上前の疑問に何も答えられていないだけではなく、「文系の優秀な人」に目を向けない姿勢は全く変化していません。
私が思うに理系であろうが、文系であろうが、優秀であろうが、なかろうが、カルト宗教にはまる人は関係なくはまります。よく考えてみたら、理系、文系などはカルト宗教に入信し、犯罪をすることに関する根拠にはなり得るはずもありません。医学は理系でないと難しい部分がありますが、「理系的とらえ方」というものは存在すると考えられます。一方で「文系的とらえ方」もあると言えばあるかもしれませんが、それは単に「非理系的」というだけのことかもしれません。理系的というのは、対象物を「だいたい同じという前提」を認め、そこから理論を展開することと言い得ると思います。一般的に「演繹」とも言います。
例えば、人間は「だいたい同じ」身体の構造をしています。だから、外科的手術などという「凄技」ができるのです。心臓の位置が百人いて、全員まったく違う位置にあれば、怖くて手術なんてできないでしょう。ですから、その「前提」を受け入れる能力が理系には必要なのです。この「前提」とは「これ以上なぜ?と問えない(問いにくい)もの」といえばわかりやすいと思います。
一方「非理系的」とらえ方は、例えば人間なら「みんな違っている」から入ります。いわゆる個体差を認めるところからスタートです。これは演繹に対して「帰納」と言います。いずれが正しいかということではありません。どちらにも一長一短があります。ただし、演繹の場合、先に設定した前提が「間違っている」場合、大変なことが起こることも考えられます。例えば「空中浮揚」(=あぐらジャンプ)がもし前提になってしまったら・・・その人は今まで勉強してきたことを全部否定してしまうかもしれません。これが思考の隙間です。思考の前提に隙間があると、それをテコにひっくり返されてしまうのです。天地がひっくり返るという表現をする人もいますが、そのくらいの衝撃があるようです。うまくいくと感動です。
それでも本来、本当の意味で勉強しているなら、一つの理論が否定されたくらいでは、あまりブレないものなのですが。

要するに、理系的素養も文系的素養もいずれも必要だということです。本来宗教は、この両面を持ち合わせています。理系の人が、年齢を重ねると宗教に傾倒することが多いですが、これは十分理解できます。例えば、「極楽浄土」ですが、これを「ある」という前提から理屈を組んでいくか、「あるかないか」を問うか、はたまた「ない」という前提から入るかは、個々の考え方によりますが、偉大な宗教家たちは、これが「ある」と考えることに条件をつけません。もちろん、盲目的に信じるのでは泣く、歴史上に点在する先人の研究者の見解を踏まえて、原典を読んでからの話です。このような作業をして地道に積み上げることは「帰納」ですが、行き着いた先が、極楽浄土という前提ということで演繹的でもあります。「極楽浄土の理論を無条件に受け入れられるまで、情報を積み上げる作業」をコンプリートできた人は、本来の信仰心をもった人なのだと思います。それは今で言えば理系と文系の統合された姿だと思えます。

かりに理系で学んできた人が、「あぐらジャンプ」に驚き、今までの人生に疑問を持ったとしても(あくまで仮りの話です)、「だからどうした」と言いうるだけの度量をもち、かつその「あぐらジャンプ」を前提にした場合どういう理屈が成立するのかをよく考えてみたら、それほどおかしな方向には進まないはずなのです。「あぐらジャンプ」おののき、人生のすべてを否定し、「故に教祖が正しい」という理屈をたててしまったところに大きな間違いがあるのです。要は彼らは間違ったのです。それは理系のせいでも文系のせいでもないのです。そして、人は間違ったら、間違いに気付き、多くの他者の人の言うことも耳を傾けながら、自分で間違いをたださねばならないのです。彼らにはそのどれもが欠けていたのです。




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