コラム

 公開日: 2010-11-01 

真田幸村(上)


真田幸村の名前を聞くとたいていの戦国時代好きは感ずるところがあるだろう。もちろん私もその1人である。
 大阪冬の陣・夏の陣において徳川方を徹底的に悩ませた名将・智将であることはいうまでもないかもわからない。

 真田氏は真田幸隆という幸村の祖父の時代にはその地所を村上義清(北信濃の豪族。後に武田信玄に所領を奪われて上杉謙信の元に身を寄せる)に奪われ流浪の身であったが、幸隆が信玄に仕えて北信濃の攻略に功があったことから、3万石の所領をもらったところからが隆盛の時代である。幸隆は、その知謀は信玄を越えるとされた。
 幸隆の子のうち、長男・次男はいわゆる「長篠の戦い」で武田勝頼に従って従軍した結果討ち死にした。そのことから、甲斐の国の武藤家という名家の名跡をついでいた真田昌幸が真田家の当主となった。この昌幸が幸村の父である。
 昌幸は信玄の小姓として仕えていたことから信玄の弟子である。本能寺の変のあと、火事場泥棒のように信濃を刈り取ったのが家康である。ところが、信濃上田城に押し寄せる徳川方の軍勢を二度にわたり昌幸は完膚無きまでにたたきのめし撃退している。
 信玄・謙信亡き後、秀吉の軍勢を唯一破り、「海道一の弓取り」といわれていた家康の軍勢を二度にわたりを破ったことで、真田昌幸の武名は相当高かったようである。
 後に北条氏を攻める際、秀吉は中山道からの先陣を真田昌幸に命じているほどである。

 秀吉が死に、家康が難癖をつけて上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝の軍を征伐するとして東上した間に、石田三成が大阪で兵を挙げて関ヶ原の戦いが始まることとなるが、真田昌幸と幸村はこの家康の軍に従っていた。
 家康は、西軍に着きたい者は去るがよいと啖呵を切ったところ、西軍に従うとしてただ1人家康の元を離れたのが真田昌幸であった。ただし、昌幸の長男である真田信幸(後改めて信之)は、本多忠勝の養女を妻としていたことからそのまま家康に従っている。
 これはどちらが勝っても真田家の血脈を残すための戦略であるとされているが、そのような配慮も働いていたであろう。幸村の妻は石田三成の親友である大谷吉継の娘であったことからも、このような一族の別れ方となったのであろう。

 関ヶ原の戦いでは、徳川軍の主力は徳川秀忠が率いてい中山道を通っていた。しかし、ここで真田昌幸はその居城の上田城においてこの主力軍を引きつけてさんざんに痛めつけたのである。その結果、あろうことか関ヶ原の戦いでは徳川軍の主力が不在のまま家康は外様大名を主力として戦うはめになった。家康は気が気でなかったであろう。関ヶ原の戦い終了後、家康はあまりの怒りに数日秀忠と面会をしなかったほどである。
 この秀忠という家康の三男(長男は武田家への内通を信長から疑われ、信長の命で切腹させられている。次男は結城秀康であるが、家康は生涯自らの子であることを疑っていたといわれ、跡継ぎは秀忠とされたのである)は、戦国に生きた武将としては何の取り柄もない人物で、そのために家康は将軍が不在でも世が治まる政治の仕組みを考えたと言われている。また、自分の命があるうちに、後の大阪冬の陣・夏の陣で極めて汚い詐欺的方法で豊臣家を滅ぼしたのも、跡継ぎである秀忠に不安があったからであるとされている。
 話が逸れたが、真田昌幸は、主力をここまで引きつけたのであるから、関ヶ原における西軍の勝利を疑わなかったであろう。
 しかし、小早川秀秋の裏切りなどで関ヶ原における戦いは1日で家康の勝利に終わってしまった。これは昌幸・幸村親子にとって大きい誤算であったろう。
 戦後、昌幸と幸村も家康により死罪を与えられるところであったが、真田信之の助命運動により紀州九度山に蟄居を命ぜられるにとどまった。家康は真田昌幸の武略を恐れていたと思われるし、秀忠は真田嫌いになったことは疑いはなかろう(現に後に真田信之に対しては、秀忠は様々な嫌がらせをしている)。

 そして、家康は自分の死期が近づいた事を知っていたのでもあろうし、徳川政権を盤石ならしめるために、極めて老獪な方法で豊臣家に対する戦の大義名分を作り上げて(この間の家康の行動は書くだに気分が悪くなるような詐欺的行動であるし有名な経過であるから書かないが、そのために家康が後世で受けた評価は極めて悪いものになっている)、大阪冬の陣が始まるのである。

 真田昌幸は大阪冬の陣が始まる前に死亡していたので、ここで真田幸村が大阪城に入城するのである。しかし、幸村はこの時点で父の武名に隠れて世間的には全くの無名であった。そのため、大阪城における軍議において、幸村の献策は全て退けられてしまうのであった。この時点で、幸村の献策を容れていれば、徳川幕府は存在しなかったかもしれないのであるが、それがまた歴史の面白いところでもある。
 また、淀君を中心とする大阪城のトップ連中は、牢人上がりの幸村が内通するのではないかとの疑いも持っていたというので、はなはだ幸村は面白くなかったであろう。しかし、この時点で既に40を越えていた幸村は後世に名を残すことだけを考えていたことであろうから、自ら大阪城の唯一の弱点である城の南側に「真田丸」という出丸を築いて、最も困難な持ち場を受け持つのである。
 ちなみに、私は大阪府立高津高等学校という高校の出身であるが、この高校のすぐ後ろに真田山公園という公園があり、ちょうどそこが真田丸が築かれていたところである。高校生であった当時はそのような知識もなく、通学していたのであるが、そのことを知った後は感慨深いものがある。私が好きな武将の1人である幸村の出丸があったところに3年間通学していたことになる。

 さて、真田丸には加賀の前田家の軍勢などが取りかかったが、幸村の采配の前に惨敗に終わった。基本的に幸村の配下となったのは寄せ集めの牢人ばかりの軍勢であることを考えると、いかに幸村の采配が水際立ったものであるかが分かる。徳川方の軍勢は、それぞれの大名の直属軍であることを考えてみれば分かるであろう。
 この時点で、幸村が昌幸同様の徳川にとって恐ろしい武将であったことが徳川方に判明したのである。
 そのため、家康は、幸村に信濃一国を与えるという条件で寝返るよう進めるが、幸村はこれを一蹴している。私が幸村の立場でもそうしたであろう。関ヶ原の戦いから長きにわたり罪を許されず(多くの武将は罪を許されている)、世捨て人のような立場であった幸村であり、自らの名をいかに美しく残すかを考えていたであろうから、そのような申し出に応じるはずがないのである。
 大阪冬の陣は鴫野の戦闘でも大阪が大勝利し、各地の攻め口でも城方の砲火の前に徳川方はなすすべくもなく、唯一の弱点と秀吉が気に掛けていた攻め口は幸村の「真田丸」がそびえかえり攻めれば攻めるほど死者を出すという状況となった。そのため、家康は老獪な手段で和議に持ち込んだのであるが、外堀のみを埋めるという約定での和議であったのに内堀まで埋めてしまったのであった。
 天下を取った男で、ここまで詐欺的行為を働いて平然としていた人物は家康をおいて他にないと「城塞」という作品の中で司馬遼太郎は言っているほどである。
 そして、豊臣家が滅亡する大阪夏の陣が始まるのである(これも家康の詐欺により戦の大義名分を得たのである)。夏の陣でも、幸村はその名を後世に残す働きをするのであるー。

この記事を書いたプロ

中隆志法律事務所 [ホームページ]

弁護士 中隆志

京都府京都市中京区二条通河原町西入榎木町95-1 延寿堂第2ビル5階 [地図]
TEL:075-253-6960

  • 問い合わせ

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0
<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
解決の事例

1、自賠責では後遺症が非該当とされ、損害保険会社から債務不存在(要するに保険会社側から賠償金の支払義務がないことの確認をする為の裁判)訴訟を提起されたが、判決...

弁護士費用について

 マイベストプロを見られた方は、初回相談料を無料にさせていただいております。 ご予約の際にお問い合わせください。 また、当事務所の3名は、全て法テラス(...

プロへのみんなの声

全ての評価・評判を見る>>

 
このプロの紹介記事
中隆志 なかたかし

多重債務や犯罪被害、交通事故被害に苦しむ人々を法律によって救いたい(1/3)

 「法律を知らないがために不利益を被っている人々を守りたい」。インタビューの冒頭、弁護士の中隆志さんは淡々とした口調ながらも熱い思いを語ってくれました。京都市営地下鉄「京都市役所前」駅から歩いて約5分のところに中隆志法律事務所を構える中さん...

中隆志プロに相談してみよう!

京都新聞 マイベストプロ

交通事故、離婚、遺言・相続で適切な対応は中隆志法律事務所へ。

会社名 : 中隆志法律事務所
住所 : 京都府京都市中京区二条通河原町西入榎木町95-1 延寿堂第2ビル5階 [地図]
TEL : 075-253-6960

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

075-253-6960

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

中隆志(なかたかし)

中隆志法律事務所

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる
このプロへのみんなの声

暗闇に光を見いだした気持ちでした。中事務所に依頼して本当によかったです。

 高次脳機能障害を負い、これからどうしていこうか途方にく...

M
  • 60代以上/男性 
  • 参考になった数(2

このプロへの声をもっと見る

プロのおすすめコラム
小次郎の動画だワン

うまく行くかわからないが、小次郎(二代目)の動画を置いてみた。そのまま画面上で見るための設定ができ...

プロバイダーの一方的サービス取りやめは困るのだ

 このブログもニフティで開設しているのだが、最近、ニフティから突然のサービス取りやめの通知が突然来て困って...

読書日記12月6日

「代官山コールドケース」文芸春秋。佐々木讓。 17年前に被疑者死亡で解決したはずの殺人事件がえん罪で真犯...

師走

 師走に入ったが、経営者にとっては冬期賞与を支払わなければならず(思えば賞与は修習生の時の2年間と、その後...

インフルエンザの予防接種

 今年も受けたのである。 40歳を超えてから、受けないその冬は必ずかかるというジンクスがあるためである。...

コラム一覧を見る

人気のコラムTOP5
スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ